27歳からのどっこいしょブログ

会社員。ブログ歴3年目。現在30歳。国際結婚。長野県。読書感想や思ったことを記録していきます。

【読書感想】『ウサイン・ボルト自伝』を読んで

ウサイン・ボルト自伝

ウサイン・ボルト自伝

当記事にお越しいただき、ありがとうございます。

今回は『ウサイン・ボルト自伝』の感想をまとめます。

2008年の北京オリンピックで陸上短距離で世界新記録を樹立し、その後計3度のオリンピックで金メダル9個をとったボルト選手。彼の生い立ちからプロアスリートになるまでが詳しく書かれており、大変興味深い一冊でした。

ぜひご覧ください!

目次:

本の概要

本書は100m,200m世界記録保持者のジャマイカ出身ウサイン・ボルト選手の自伝です。彼の幼少期から2013年までの内容が書かれています。構成は16章立てです。

  1. 俺はこの地球に走るために生まれてきた
  2. チャンピオンのように歩く
  3. 最大の敵は俺自身だ
  4. 大舞台に凡人は震え、スーパースターは興奮する
  5. 駆け足の人生
  6. 王者の心と、鋼鉄の意志
  7. 「乗り越えるべき瞬間」の発見
  8. 痛みか、栄光か
  9. 今こそ走るときだ
  10. 自分のものをつかみとれ!
  11. 勝利の経済
  12. 神からのメッセージ
  13. 一瞬の油断、一生の後悔
  14. 俺の時間がやってきた
  15. 俺はレジェンドだ
  16. ロケットでロシアへ、そして・・・

本書を通じて感じるのはウサイン・ボルトさんの人間的魅力です。彼は完璧な人間ではありません。クラブが好きだし、つらい練習はさぼろうとします。しかしよきコーチと出会い、適切な目標を立てることで世界一のアスリートに成長していきます。つらい状況や困難から逃げずに向き合い、立ち止まってやるべきことを整理することが、自らを成長させるために必要な内容であると学ぶことができました。

次章以降でウサイン・ボルトさんがどのような生い立ちで2013年までせいちょうしてきたか簡単に紹介したいと思います。

少年時代~北京オリンピックまで

ウサイン・ボルトさんは1986年にカリブ海の島国ジャマイカで生まれました。4300gもある大きな赤ちゃんでそのころからエネルギーが有り余っているようでした。

ボルトのお母さんはボルトに優しい一方で、父親は厳格な人でした。川に水汲みにいく手伝いをやらせたり、小学校時代に会う人すべてに挨拶をするように言いつけていました。それが破られるとボルトのおしりを打ち、しつけをしていました。ボルトはその痛みを今も覚えていますが、その教えのおかげで礼儀正しく振る舞うことを大人になっても身につけることができました。

小学校時代にはクリケットに打ち込んでいます。しかしそのクリケットでの走りを見た先生がレースにでることを勧め、小学校で一番足の速いとされていた少年に勝利しました。その後も学校対抗のレースで活躍を重ね、ウィリアム・リブ校という高校からスポーツ奨学金の申し出が届きました。家計的にも高い授業料が払う余裕がなかったため、奨学金の話は父親も喜び、進学することになりました。

しかし高校に入ってからも怠け癖は治りませんでした。練習は自分を追い込むことはせずに流し、ウエイトトレーニングなどもさぼっていました。練習をさぼってはゲームセンターに行ったり、女の子とデートをしたりしていました。なおかつ勉強も真面目に取り組まず、留年の危機にも直面します。

それらを救ったのが敗北と周りのサポートです。ボルトはスペンサーという同世代の選手に負け、それから200mと400mでの走りに対する技術的関心を高めました。また留年問題については先生が週2回みっちり補修を行い、なんとか免れました。負けるたびに強くなる負けん気の強さと自尊心の高さこそ、トップアスリートに必要な資質だと思います。

高校を卒業するとプロとなります。しかしプロと同時にジャマイカの都会キングストンで生活を行うことになり、遊び惚けることになります。毎晩のようにパーティーに行き、クラブでおどります。そんな状態でのトレーニングは疲労を蓄積させる結果になりました。またプロになったときのコーチはハードワークを機械的に課すタイプであり、意思疎通を重視するボルトとの相性はよくはありませんでした。結果的にハードワークでハムストリングスをケガし、その結果2004年のアテネではさんざんたる結果になりました。

そしてミルズコーチとの出会いがあり、2005年以降めきめきと成長していきます。ミルズコーチはボルトのちょっとした不機嫌な態度を、徹底的に話し合うことで解決していきました。不機嫌な態度からでる不満を聞き、それに対する解決策を話すことで結果的によりハードなトレーニングを積むことになりました。

またトレーニングのモチベーションとして、お金を稼ぐというわかりやすい動機もありました。スポーツビジネスでは勝利を重ね、影響力を高めることでスポンサー契約は勿論、大会に誘致する出場料も上がります。ボルトはお母さんに洗濯機を、お父さんに車を買うことを目標としました。さらにトレーニングがつらいと思ったらほしいものを思い描き、それへの欲求で頑張る力を出してきました。

ミルズコーチに導かれ、自分を追い込むトレーニングを重ねたボルトは2008年の北京オリンピックで見事世界新更新と金メダル獲得を実現しました。

北京オリンピック以降

北京オリンピック以降ボルトは一躍世界のスーパースターとなりました。さらに陸上界では全員の標的とみなされるようになります。ドーピング検査も厳しくなったり、一方でサッカーのスーパースターやアメリカのセレブ女優とパーティーで会うこともできるようになりました。

しかし2009年にボルトの考え方を変える出来事が起きます。ボルトが運転していた車がブレーキが利かなくなり、大クラッシュする事故がおきます。助手席には女性も乗せており、車は何回転もして宙を舞いました。助手席の女性も一命はとりとめましたが、ボルトのほうは大きなけがはほとんどありませんでした。この奇跡的な結果をきっかけにボルトは「神によって生かされている、走るために生まれてきた」と感じるようになります。さらに速くなりたいと練習に励んだり、周りに感謝したり、若手とのコミュニケーションを多くとるようになりました。さらに交通事故のとき足のうらにプラスチックのとげが刺さり、そのリハビリをする中で、6週間携帯電話をオフにし、ジャンクフードと夜更かしを止めるようにしました。

その後フライングでのまさかの失敗、ジャマイカの後輩でライバルのドレークの出現などあったものの、ロンドンオリンピックで素晴らしい結果を残すことになりました。この本を通じて、アスリートも一歩一歩の成長の積み重ねの上で成り立っていることを目の当たりにすることができました。

感想

たぐいまれなる才能を持っていたとしてもよきコーチに巡り合えるかどうかで運命は変わっていたんだと思いました。ボルトさんの場合は、最初のコーチと練習思想が合わずケガに悩みましたが、その後のミルズコーチとは心が通じ合い、プロとしての自覚と姿勢を手に入れることができました。人は怠惰な生き物であり、ボルトさんも例外ではありません。それでも適切な目標設定、負けん気の強さ、コーチの存在によって厳しいトレーニングをこなしている姿をみて、私自身も外の環境の力をうまく使わなければならないと思いました。

ウサイン・ボルト自伝

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また次回のブログでお会いしましょう。