27歳からのどっこいしょブログ

会社員。ブログ歴3年目。現在30歳。国際結婚。長野県。読書感想や思ったことを記録していきます。

【読書感想】『田中角栄 100の言葉』を読んで

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『田中角栄 100の言葉』表紙

当記事にお越しいただきありがとうございます。

今回は別冊宝島編集部 編『田中角栄 100の言葉~日本人に贈る人生と仕事の心得~』を読んだ感想をまとめます。

「日本列島改造論」や「ロッキード事件」などのキーワードは知ってはいましたが、その人物像はよく理解できていなかった田中角栄さんについて、心に残った言葉とともに紹介したいと思います。

ぜひご覧ください!

 

目次

 

本書を読んだ背景

元々政治学科だったこともあり、大学時代に田中角栄信者の先輩がゼミにいました。そのころは恥ずかしながら勉強はあまりしていなかったので、特に興味がなく大学生活を終えました。そのころの引っかかりがあったため、コンビニで田中角栄の名言集という本を先月目に付き、お盆でいい時期だと思い、田中角栄関連の本を読んでみようと思った次第です。

(尚、そのゼミの先輩は、小沢一郎の選挙の手伝いのバイトをしていました)

田中角栄の生い立ち

本書の内容を語る前に、田中角栄さんの経歴についてお話します。

1918年米騒動が起きた年の新潟県で次男として田中角栄さんは生まれました。父親の角次は様々な事業に手を出し失敗したことで、極貧生活を送ります。1933年に尋常小学校高等科を卒業、翌年16歳の頃に上京し、仕事をしながら土木関係の勉強を行います。1937年に自分の建築事務所である「共栄建築事務所」を設立。

国家総動員法が施行される1938年には兵士に応召され、北満州にて兵役につきます。1941年に病気で内地に戻され、除隊。そして「田中建築事務所」を開設します。1943年には土木関係の仕事が軌道に乗り、「田中土建工業株式会社」を設立、当年度の年間施工実績全国50位以内にランクインしました。

1945年に朝鮮での工場移転工事を請け負い、渡朝。朝鮮で終戦を迎え、進歩党への政治献金を承諾したところから田中角栄さんの政治家としての人生が始まりました。1946年の28歳の時に立候補するも、落選。その一年後の47年に当選し、衆院建設委員となりました。

1972年に総理大臣に任命されると、冷戦の中アメリカの動きと同期する形で日中国交正常化を果たします。74年に金脈問題で追及され、総理の座からは降りますが、その後も影響力を持ち続け、多くの田中派の総理大臣を輩出する流れになりました。

中卒ながらも会社を興し成功する胆力と、戦後の変革期を生き抜いてきた力強さ、自民党の大派閥の木曜クラブをまとめる人心掌握術など、清濁併せ吞む田中角栄さんの生き方が経歴からも見えてきます。

田中角栄の名言13選

田中角栄氏の心に残った名言をご紹介します。

『この世に3つでまとめきれない大事はない』

田中角栄 名言①

田中角栄 名言①

色々な情報をだらだらとしゃべったり、自分の軸についてもいくつも持つべきではないなと気づかされる一言です。仕事やプライベートでも3つまでに絞り切れない場合は、まだ余分なことがあると鑑み、さらに煮詰めるようにしようと思います。

『できることはやる。できないことはやらない』

田中角栄 名言②

田中角栄 名言②

自分はできないことをやらないということが苦手だと思います。その中でできないことをはっきりとやらないと宣言する生き方は学ぶべき姿勢だと思います。人生のどこかで自分の可能性をたたんでいく必要があると思うので、これからやること、やらないことを明確にしていこうと思います。

『人間はそれぞれ「ものさし」がある』

田中角栄 名言③

田中角栄 名言③

仕事をする上でも家庭を築くうえでも人とのコミュニケーションは必要不可欠です。その際に自分の都合や感情ばかりを優先してしまい、失敗してしまうケースがよくありました。

相手と育った環境や持っている情報量、責任の重さなどが異なる中で、円滑に生活を送るために、相手の立場で考えることが重要だと再認識できました。また相手のものさしに対応できるように、自分のものさしもできるだけ大きくするべきだと思います。

『ゴルフは道楽じゃなく、真剣勝負なんだ』

田中角栄 名言④

田中角栄 名言④

僕もゴルフは大好きですが、ここまで真剣に向き合えてなかったなと思いました。笑

自分の実力の120%を夢見てドライバーを振り回したり、後半は「気持ちのよいショットを打ちたい」と気が緩んでOBになったりすることが多々あります。その自戒の意味を込めて、田中角栄さんのゴルフへの取り組みを参考にしようと思いました。

『声が小さいのは信用されない』

田中角栄 名言⑤

田中角栄 名言⑤

最近声が小さくなってるような気がしてドキリとしました。

たしかに自信がなかったり、心に引っ掛かりがあることについては声が小さくなります。まずは心に一つも曇りのないことを言えるように、とことんまで突き詰めていくことを取り組もうと思います。そして次に虚勢でもなんでもまずはハキハキと態度から入ろうと思いました。

『役人の顔や人脈ぐらいはよく覚えておけ』

田中角栄 名言⑥

田中角栄 名言⑥

学生の頃はクラスの人の名前や全校生徒の名前も覚えていた人もいたと思います。しかし社会人になると急に自分の身近な人でのみのコミュニティになったように感じます。

相手の顔や名前を覚えておくことは礼儀だと思いますし、将来のことも考えるとちょっとした付き合いを大事にすることが大きな差を生むんだなとわかりました。人のことを覚えることを軽んじない人間でありたいと思います。

『働いてから休む人になりなさい』

田中角栄 名言⑦

田中角栄 名言⑦

自分が休んでから働くタイプだったので、ぐさりと来ました。笑

何事も権利を享受してから義務を果たすのではなく、義務を果たしてから権利を行使したいと思う一説です。自分が甘えそうになった時に思い出そうと思います。

『人にカネを渡すときは頭を下げて渡せ』

田中角栄 名言⑧

田中角栄 名言⑧

資金を有効活用し、田中軍団を築いた角栄さんのお金に関する考え方です。身の回りの人が困っているときの金払いはスマートでありたいと思います。少しでも傲慢さが見えないようにあくまでも慈悲を忘れずに、行動したいです。

『葬式には真っ先に駆け付けろ』

田中角栄 名言⑨

田中角栄 名言⑨

これも人間の心理を理解した政治家ならではの配慮に感じます。冠婚葬祭についてあまり考えたことはありませんでしたが、確かに祝い事は遅れることができても、葬式などの悲しい出来事があった際は真っ先にそばにいてあげることがどれほど心強いかと思いました。もちろん私自身は角栄さんほど祝い事も多いわけではないので、遅れずにできるだけそちらも駆けつけようと思います。

『生物は劣性遺伝』

田中角栄 名言⑩

田中角栄 名言⑩

自分は生物は優性遺伝だと思っていたので、印象に残りました。優性遺伝だと思っていたのは人類は進歩するものだろうという進歩史観が自分の中にあったり、楽観的な性格がゆえにそう思うのかなと考えました。また「生物は優性遺伝か劣性遺伝か」を妻と話し合ったところ、「人は堕落する方が楽なので、劣性遺伝だと思う」と言われ、なるほどと納得しました。常に勉強することが人間として必要なことだと思いました。

『雪というのはロマンじゃない。生活との戦いなんだ』

田中角栄 名言⑪

田中角栄 名言⑪

政治が人々の生活の近いところにあることを気づかさせてくれた言葉です。

新潟出身の角栄氏は、豪雪地帯ゆえの苦労を理解していました。そしてその地域の困りごとを解消することが政治家の仕事として考え、上越新幹線の開通等に尽力しています。私も選挙にはいまだ行ったことのない、無関心層の人間でしたが、これを機に今一度国や県、市の政策に向き合ってみようと思います。

『土俵の外に押し出す必要はない』

田中角栄 名言⑫

田中角栄 名言⑫

現在放映中の半沢直樹とは真逆のスタンスですね。笑

私も角栄氏の考え方に賛成です。完全な対立関係が起こってしまうと、どちらか一方が抵抗を止めるまでの泥沼の戦いになってしまいます。「昨日の敵は今日の友」として相手の心情を慮った行動や態度を心がけたいです。

『次に次善、三善の策まで考える必要がある』

田中角栄 名言⑬

田中角栄 名言⑬

仕事などで提案や意見を言う際に、2パターンは用意するよう心がけています。しかしその先の3善まで考えるプロ意識がなっていなかったなと反省することができた名言でした。3手、4手、5手先を見据えた仕事をするとともに、相手の反応を正しく想定できるように、情報収集は徹底して行いたいと思います。

感想

田中角栄氏はよく大規模な資金力をうまく使い、困ったときに相手の想像以上の恩を売ることで政界に君臨した人でした。しかし、そのお金の使い方の面以外の姿勢においても、戦争を経験した世代の胆力を味わうことができるような本でした。現状における圧倒的な不満や使命感を持っていた人の言葉に触れることは私にとっては有用です。

以前会社の先輩からお借りした日本電産の永守社長の著書の中で、社員には3種類いるという内容がありました。

  1. 自ら仕事で燃え上がることができる人(自燃力のある人)
  2. 他人の働きかけによって、燃え上がることができる人
  3. まったく燃えない、あるいは燃えようとしない人

自分は2のタイプなので、使命感で燃えた人の本や言葉、伝記などによって燃料を投下し、日々の生活・仕事に燃えていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

また次回のブログでお会いしましょう。